『エルセアーデ・ブルー』

 

【1】

 

 移動型スペースコロニー・エルセアーデが母星ハザを去ってから、六ヵ月が経っていた。エルセアーデは未だ宇宙空間における安住の地を求め、長い航行をしている最中である。

 エルセアーデは、銀の円錘の底をドームにしたような形をしている。ドームの中心からは一本の柱が外に向けて伸びており、更に柱から放射状に生えた枝によって、巨大な円環が支えられている。コロニーの姿勢制御を担うリング・スラスターだ。ハザから旅立った他のコロニーと比べても珍しい風体で、銀色に輝く錘の切っ先で進行方向を見据え、暗澹たる夜空を貫くように飛ぶ。

 住人たちは現在、コロニーの中心に浮かぶ仮設船の中で暮らしている。錘の先端に疑似的な引力を生み出す魔導核が設置されているので、そちら側が足のつく地面となり、ドーム側が空となる。コロニー自体の回転による遠心力も相まって、コロニー内部には母星と遜色ない重力が発生しており、天地が覆ることはない。

 この船にはほとんど窓がなく、住人たちが眺めるのは無味乾燥な灰色の壁ばかりだ。彼らの日常は閉塞感に包まれている。だがそれは、風景のせいだけではなかった。

 船内で致死性の疫病が蔓延していた。エルセアーデには、人間、ペットの動物、アンドロイド、人型でないロボットが搭乗しているが、疫病は人間のあいだでのみ広がった。そのため、今のところ人間たちは階層や隔壁で分けたブロックごとに移動を制限され、部屋に閉じこもって感染に怯えていた。最初の感染者が確認されてからは二ヵ月が経っていたが、ウイルスの発生源は未だ特定されていなかった。

 

 

 

 仮設船の管制室は、船の最上部の一層にある。室内では成人男性型アンドロイドのトァスティースが、壁中に張り巡らされたモニターを見つめていた。これらのモニターには船全体から集められた様々なデータが表示されている。温度や湿度から、空気中成分の割合、室内の住人の健康状態など、住環境の維持に必要なあらゆるデータである。

 目をモニターに向けているのは、実は仕事をしていると顕示するためのふりだ。実際には、モニター下のコンソールから伸びたコードが、彼の首元のジャックを通して、頭部の思考回路に直にデータを送ってくれている。だから座っていようが寝転がっていようが仕事に支障はない。しかし本当に寝転がっていると、他人からさぼっていると勘違いされるので、椅子に座ってモニターを眺める癖がついていた。

 彼はいつも、自分の本体と電子の海をコード伝いに行き来して、コロニー中の膨大なデータを分析している。その分析結果をもとに仮設船内の機械たちへ指示を下し、船の内部環境を整備させるのが、エルセアーデ評議会に属するトァスティースの役割だ。彼の目下の悩みは当然、疫病にまつわる種々の問題であった。

 しばらく黙ってモニターを見ていたトァスティースは、おもむろにコンソールの操作パネルをいくつか触った。画面表示が切り替わり、何らかの認証を求められる。

 その時、見計らったかのように背後の自動ドアが開いた。成人女性型アンドロイドのフェリッサ、成人男性型アンドロイドのタンザが管制室に入ってくる。彼らもまた評議会に所属している、トァスティースの同僚だ。

 トァスティースはすぐさまモニターの表示を、元のデータ一覧に戻した。

 

「トァス、二層から七層の健康チェックが終わったわ」

「新規感染者を病棟エリアに移させたが、もう死亡者を差し引いても満員だ。エリアを拡大しないといけないだろう」

 

 フェリッサとタンザは顔色一つ変えずに、厳しい報告をした。だがデータから分かっていた通りの内容だったので、トァスティースも特に表情を変えずに答えた。

 

「なら、五層の中央隔壁から西を病棟用にしてくれ。住人は東側と、四層の三から五号室に移動してもらおう。カローワトは見たか?」

「ああ、長官のところへ行くのを」

「そうか……俺も少し様子を見てくるよ。フェリッサ、悪いけど管制室を頼む」

 

 頷いたフェリッサを残し、トァスティースはタンザと一緒に管制室を出た。下層へ戻るタンザとは昇降機の前ですぐに別れ、彼は管制室と同じ階にある長官の個室を訪ねた。

 中に入ると、大きな横型の治療カプセルが狭い室内を占領していた。カプセル内には呼吸器を付けられた高齢の男性が眠っている。彼はエルセアーデ評議会の長官であり、現在のコロニーの最高責任者にあたる。カプセルの枕元にあるバイタルチェック用モニターをちらりと見るが、管制室から確認した時と変わりはない。容態は芳しくなさそうだ。

 カプセルの傍らには、一体の無性型アンドロイドが静かに座っていた。長官が私的に所有している介護用アンドロイド、カローワトである。トァスティースが入ってきたことに気がつくと、カローワトは立ち上がった。

 

「何か御用でしょうか」

「いや、様子を見に来ただけだ。快復の見込みは……」

「厳しいでしょうね。他の感染者のケースも鑑みれば、今持っているだけでも奇跡的です」

 

 カローワトは主の死を覚悟しているようだ。しかし個人ではなく評議会に仕えるトァスティースからすれば、長官を喪うことは、簡単には受け入れられない深刻な問題だった。

 

「長官が目覚めない場合、最高責任者の移行先を俺たちで決めなければならない……」

 

 トァスティースは、ほんの僅かに眉尻を下げて俯いた。

 疫病は人々の予測よりも遥かに早く広がってしまい、コロニーを率いるはずの評議会幹部は、既にほとんどが命を奪われていた。頼みの綱であった長官もついには感染し、今は意識がないまま闘病を続けている。末端の構成員はまだ残っているが、幹部になるつもりはさらさらない事務員などがほとんどだ。全員に長官の代理を依頼したが、すべて断られてしまった。人間の意に反して役割を押し付けることはしないよう、トァスティースはプログラミングされていた。

 

「あなたが最高責任者になればいい、トァスティース。このコロニーのことを一番把握しているのは、ハザを発ったその日から、ずっとあなたです」

 

 カローワトは切れ長の青い目で、じっとトァスティースの緑の目を見据えた。

 無性型のカローワトは、健康的な成人の男女を模して作られたトァスティースやフェリッサたちと比べて、線の細い未成熟そうな見た目をしている。それに普段は物静かで、基本的に控えめな印象がある。

 なのに今、どのアンドロイドよりも強い光をその瞳に宿していた。鋭い眼差しに射貫かれ、トァスティースは狼狽えた。

 

「でもそれは、アンドロイドの分を越えているんじゃないか。俺たちはあくまで人間を支えるための存在だ」

「人々が死に絶えないよう先導することも、支えと呼べるでしょう。手をこまねいていては、救えるものも救えません」

「どのみちコロニーの全コントロールを掌握するには、長官の生体認証が必要なんだ」

「生体認証……」

 

 カローワトは小声で復唱した。カローワトは長官の私生活を支えるアンドロイドであり、評議会には送迎くらいでしか顔を出さなかった。だから長官が管制室で自ら設定しただろう生体認証のことを知らなくても、おかしくはない。

 

「さっき思い立って管理者権限にアクセスしてみたんだけど、最高責任者の指紋と声紋による認証を要求されたんだ。だから長官が目覚めてくれないことには……」

 

 本当は、管理者権限にアクセスしようとすること自体、トァスティースの役割を逸脱しかけていた。だから同僚たちが管制室に入ってきた時には、つい慌てて隠してしまった。

 

「指紋なら意識がなくとも認証させられるでしょう。声紋は、評議会の議事録にでも高精度の録音データが――」

「駄目だ、カローワト。それこそ俺たちが勝手にしてはいけないことだ」

 

 トァスティースがきっぱりと断ずれば、カローワトは俯き押し黙った。先ほどの眼差しとは打って変わって、どこか気まずそうな表情に見えた。

 人間の日常生活に寄り添うために作られたアンドロイドは、人が親近感を持ちやすいよう感情の振れ幅が広めに取られている。中でもカローワトは大人しい性質だが、やはり評議会のアンドロイドたちよりは表情が豊かだ。

「アクセスしたということは――」カローワトはトァスティースから目を逸らしたまま口を開いた。

 

「あなたには、このままではいけないという考え自体はあるのではないですか」

「それは、もちろん……」

「あなたの思うことはきっと正しい。私はあなたを信用しているんです、トァスティース」

 

 トァスティースが何かを訊き返す前に、カローワトは背を向けて椅子に戻った。そして止まった機械のように沈黙してしまった。トァスティースはこの状況に相応しい言葉を導き出せず、すごすごと部屋を後にした。

 

 

 

 管制室に戻ると、フェリッサがモニターを監視してくれていた。緊急の問題は発生していないそうだ。トァスティースは彼女に礼を告げてモニター前の定位置に座った。

 

「カローワトはどうだった?」

 

 隣の椅子に座ったまま、フェリッサが言った。トァスティースは自然な動作で首を傾げた。

 

「長官じゃなくて?」

「わざわざ見に行かなくても、長官のバイタルはここで分かるじゃない。あなたが気にしているのはカローワトでしょう」

「あぁ、そうか、そうだよな……」

 

 生体認証の突破口を、長官本人、あるいはカローワトに求めて会いに行ったのだ。だがそれを伝えれば、トァスティースが役割を逸脱しかけたことが明らかになってしまう。今の状況を鑑みれば、フェリッサたちは理解を示してくれるかもしれない。しかしアンドロイドと人間の均衡を崩しかねない考えを広めることは躊躇われた。

 

「ほら、カプセルがあれば本来世話は必要ないし、カローワトも時間を持て余していたんじゃないかな……」

「長官の命令がない以上、他の仕事にも手を出しにくいでしょうしね」

「そうだよ、現状維持が精一杯の俺たちと同じだ」

 

 カローワトがいつにも増して感情的だったのは、逼迫感のせいではないかとトァスティースは捉えていた。逼迫感は状況変化に素早く対応するため、大抵のアンドロイドに実装されている。トァスティースも然りで、だからこそ、彼は管理者権限にアクセスしようとしたのだ。今よりもっとできることを探すために。

 しかしカローワトに一応の共感を寄せながら、トァスティースはどこか不審にも思っていた。なぜカローワトは、トァスティースを信用しているなどと言ったのだろうか?

 もともと、カローワトとの関係性は薄い。ハザに居た頃に話をしたのは一度だけで、宇宙に出てからは、何故だか分からないが避けられていた。フェリッサやタンザも同じように距離を取られていたはずだ。

 それがほんの一ヵ月前から、トァスティースとはぽつぽつと会話をしてくれるようになった。ひと月前といえば評議会の幹部たちが次々と病に倒れてしまい、船内の機械の指揮権限をトァスティースが引き継いだ頃だ。

 それまでの彼はデータの分析結果を人間に渡すだけだったが、権限を得てからは、自ら船内で働く機械に指示できるようになった。その際に、ひとまず機械たちを通じて疫病対策をより厳格な方法に修正した。カローワトはその働きをきっかけに、トァスティースを評価してくれたのだろうか。しかし彼は、まだ感染拡大を完全に止められたわけではない。

 トァスティースからすると、カローワトの態度はずっと不可解だった。そんな者に信じられても、すぐに信じ返すことはできない。むしろカローワトは、口の上手いことを言ってトァスティースに何かさせようとしているのではないか? アンドロイドであるカローワト個人が悪事を企むことはあり得ないが、誰かが長官の言葉を騙って良からぬ考えを吹き込むことは可能だろう。

 最優先事項は疫病の集束――しかしカローワトの動向も気にしておく必要がありそうだ。トァスティースはカローワトとの会話記録をうっかり消してしまわないようロックをかけて、データの監視に戻った。

 

 

 

 

 

 仮設船は全七層から成る。最上層が一層、最下層が七層だ。二週間後には、疫病は五層全域にまで広がっていた。ただしそれより上への拡大はかろうじて食い止められている。

 現在、疫病が蔓延した五層以下は、表向き「病棟エリア」と呼ばれている。だが万全に手を尽くしても致死率の高い病気のため、実態は死に往く感染者の隔離所だった。

 当初、船内では生物の移動だけが制限されていた。しかし感染のしようがないアンドロイドであっても、行き来によってウイルスの拡散を助長してしまう恐れがある。実際に、機械の指揮権限を得たトァスティースが医療用機械以外への移動制限を増やすと、疫病の蔓延は緩やかになっていった。そして七層から五層までゆっくりと拡がったところで、ようやく進行が止まったのだった。

 トァスティース自身も、病棟エリアへはしばらく行っていない。いつも管制室から病棟の状況を判断し、必要な指示を出しているだけだ。タンザとフェリッサに医療機械たちへの協力を頼むこともあるが、二人も病棟エリアの中には足を踏み入れない。

 

 ある日のこと、珍しい名前が病棟エリアの入場記録に表示された。カローワトだ。カローワトは疫病の発生初期から、病棟エリアを避けていた。万が一にでも長官を感染させればコロニー全体に甚大な影響が出るのだから、当然だろう。結局長官はどこかで感染してしまったが、今だって弱った老人に付き添っているわけで、迂闊なことはすべきではない。

 トァスティースは過去の入場記録を遡った――やはりカローワトが病棟エリアに赴くのは今回が初めてだ。

 異例の事態に、トァスティースは頭を悩ませた。コロニー全体を統治する長官に付き従うカローワトは、主人同様コロニー内の移動に関して広い権限を持っている。トァスティースが課した制限をもってしても、病棟エリアへの入場を咎めることはできない。

 だが、どうして今カローワトが病棟エリアへ行ったのか、無性に気になった。長官以外に見舞うほどの知人が居そうな気配はなかったし、主人が眠り続けている以上、仕事でもないだろう。

 考え込んでいるうちにフェリッサとタンザが来たのをいいことに、トァスティースは彼らに管制室を任せて四層へ下りた。昇降機の前で待っていると、階層ランプを点滅させて下層から誰かが上がってくる。

 ランプは四層で止まり、静かにドアが開いた。中には期待した通り、カローワトが居た。

 

「トァスティース……?」

「やぁ、その……珍しい入場記録が見えたから」

「私を監視しているんですか?」

「そういうわけじゃないよ。君もアンドロイドの移動制限は知っているだろう」

「不安にさせたのなら申し訳ありませんが、出てくる際に消毒殺菌と検疫は受けましたし、念のため今日中は待機所に居るつもりです」

「いや、すまない、咎めに来たわけでもないんだ。ただ気になって……」

 

 カローワトは怪訝そうにトァスティースを見上げた。逃げはしないのだな、とトァスティースは意外に思った。

 

「病棟エリアになんの用だったんだ? 知り合いでも?」

「いえ……調べ物です」

「調べ物? 君が、いったい何を」

 

 訊ねると、カローワトはすっと目を伏せた。答えられないのかと思いきや、小声で、「セーアランタの人たちのことを訊ねに行ったのです。その、発生源の特定に助力できないものかと……」と、目を合わせないまま答えた。

 

「発生源の特定……君が?」

「今となっては、どうしようもないことだとお思いですか?」

「いや、そんなことはない。感染は人同士でしかしていないけど、人からウイルスが自然発生したわけでもないんだ。発生源は必ず見つけないといけない」

「そうですか……けれど大した成果はありませんでしたから……」

 

 言って、カローワトは今度こそ逃げるようにトァスティースの前から去って行った。向かったのは先の宣言通り、四層に作られた待機所だ。ここで明日、再度検疫を受けてから一層に帰るのだろう。

 管制室へ戻りながら、トァスティースは考えていた。カローワトの話は、果たして本心だろうか。何とも言えなかった。いきなり評議会に協力しようと動いたことを不自然に思うか、あるいはようやく何かしようと立ち上がったのだと認めるべきか。どちらで受け取るにせよ、根拠がなかった。

 だがカローワトの話は、トァスティースに一つの道筋を示した。管制室へ戻ると、彼はすぐさま感染者リストを時系列順に並べ、古いほうのデータを注意深く眺めた。

 最初の感染者は、七層に住むセーアランタ人の三十代前半女性だった。続いてその夫、娘、同じ階の子供たち、その家族――という風に、七層のセーアランタ人が次々に感染、発症していった。七層には葬送用の分解槽などの設備があり、人間の住民は比較的少なかったものの、感染の波はすぐ六層にも届いた。

 この感染拡大の流れは、既に何度も確認している。特にはじまりの家族に関してはコロニー搭乗以前の行動記録から調べ、特筆すべき渡航履歴や食習慣などがないか浚ってある。結果は何も手掛かりが見つからず、発生源の特定はされないままだった。そして一家は既に全滅し、分解槽で葬られている。

 トァスティースは一家についてもう一度調べてみることにした。病棟エリアに音声通信を飛ばし、彼らを担当したアンドロイド医師に繋ぐ。スピーカーの向こうで応答した医師は「おや」と驚いた。

 

「そんな初期のことを一日に二度も聞かれるとはね」

「あぁ、カローワトが来たのか」

「そうそう、その名前。なんだい、きみも子供の趣味やら交友関係やらを聞きたいのかい」

「子供の……? カローワトは何を訊いたんだ」

「三番目に亡くなった、一家の娘のシェナちゃんのことだよ。船のどの辺りでよく遊んでいたのか知りたいようだったけど。カローワトは一層の機体だろう? そっちで新発見でもあったんじゃないのかい?」

 

 トァスティースは、しばし何も応えられなかった。「おーい?」と繰り返し呼びかけられて、ようやく礼を言い通信を閉じた。そして椅子の背に力なく凭れた。

 いったい、カローワトのどこに真実があるのか分からない。はぐらかされたことだけが確かだった。あれは信用に足るアンドロイドではないのだろうか。だとして、シェナ個人について調べた意図はなんなのか。思考は二分されていた。すなわち、カローワトはあくまで善意に基づいて行動していると信じるか、不審なアンドロイドとして監視対象にし、距離を置くか。

 どうしてか、ろくに知らないカローワトへの疑念や失望が、異様に痛切に思われて仕方なかった。

 その後も、トァスティースはカローワトへの今後の対応をどうするかは決められなかった。だが代わりに、タンザにシェナの生前の行動について調べ直してもらうことにした。カローワトが調べていた事柄を追っていけば、その真意も明らかになるかもしれない。

 

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