『荒野の娘』

 

一.　車

 

　家の庭には古びた車があった。秋の晴れ空と同じ水色をした、キャンピングカーだ。もう走ることはできないが、定期的に手入れされていたので廃車にしては錆もない、綺麗な車だった。

　私は父と喧嘩をすると、決まってこの車に逃げ込んだ。大きくて四角い車体は、吹き付ける風をまともに受けてしまう。けしてタイヤは回らないのに、車はまだ生きているかのようによく揺れた。

 

　風の穏やかなある日、私は父と些細な口論になった。例によって車の中へ逃げ込むと、車はまるで揺りかごのように体を揺らしていた。今日の日差しは柔らかく、適度に暖かい車内が眠気を誘い、私を微睡みに連れていく。

 

　夢の中で、車は開けた荒野を悠々と走っていた。運転席にはまだ若い祖父が、助手席には幼い父が座っている。私はそれを後部座席から眺めていた。かつて彼らはこの車に乗って、いま暮らしている荒野の町へ移ってきたのだ。いつだったか、父からそう聞いたのを思い出した。

　私達は特に会話もせず平地を進む。風とエンジンの音がずっと鳴りながらも、荒野には覆しようのない静けさが満ちていた。私にとっては慣れ親しんだ筈の静寂が、今は何故だか心細い。揺りかごである筈の車が走っているからか、それとも父がまだ私を知らない子供だからか。

　やがて空の日が落ちれば、進行方向に小さな光が幾つも輝いた。荒野に佇む町の、家灯かりだ。

　車は町の門を潜り、くねった小道を抜け、こぢんまりした家の前で停まる。

　先に祖父と父が車を降りた。私の知る彼らは特段仲良くはなさそうだったが、しかし横に並んで家へと歩いていった。

　私も車から出れば、自然と足が玄関に向いた。大人になった父が待つ、私の生まれ育った家へ。

 

　そこで目が覚めて、私はひとつ伸びをした。そして夢と同じように車を降りる。

　なんだか、あやされてしまったな。私は揺りかごを振り返る。柔らかいそよ風に吹かれながら、車は未だ夢の中だった。

 

 

 

二.　狩り

 

　私の住む町は荒野の中にある。乾燥した地域で、育てられる家畜も少なく、肉は貴重である。

　だが、幸い町からそう遠くない所に草木の生える山があり、町の人々は時折山で狩りをしていた。銃の扱いが上手い祖父はよく狩りに連れ出され、そのたびに、いっとう立派な鹿や山鳥を獲ってきた。

　しかし彼は、狩りが好きではないようだった。町の皆が称賛しても、もっと獲ってきてくれと頼んでも、必要以上に引き金を引くことはない。

　私はどうしてなのか訊ねてみた。祖父は眉間に皺を寄せ、俯いて答えた。

 

「銃があれば助かったかもしれない人もいれば、銃があったから死なせてしまった人もいた。今では引き金を引く時、自分をどこか遠くへ追いやらないと、指が震える。獣を狩るのは別だと、上手く割り切れない」

「それが、自分たちが生きるためでも？」

「そうまでして生きてもいいと信じるのが、一番難しい。一度でも疑わずに生きられたら、どんなに良かったか」

 

　そこまで零すと、彼は「子供に聞かせる話じゃないな」と言って無理やり話を切り上げた。

 

 

　翌週も祖父は狩りに行った。収穫は大きな鹿が一頭と兎が二羽。他の人が狩った分も合わせれば、十分すぎる成果だ。

　捌いた肉の一部を調理し、町の人々はささやかな宴を開く。

　宴会場の片隅で、祖父は賑わう人々をぼんやりと眺めていた。私は焼いた肉を小皿に数枚貰い、祖父のもとへ行った。

 

「ぱさぱさのパン以外も食べられるお蔭で、私は結構、健康に育ったよ」

 

　言いながら、私は肉を一枚頬張る。

 

　それを祖父はどう思ったのだろうか。しばらく無言のまま私の様子を見ていたが、じきに彼は眉尻を下げて微かな笑みを浮かべた。そして私の頭を、髪を乱さない程度にそっと撫でた。