※戦争等、残酷な描写有り

『塔』

 

 俺は兵士だ。高い塔の頂上で、いつも北の大地を見張っている。

 北には異教徒たちの国があった。肥沃な土地を持つ奴らは、砂漠で暮らす俺達を「持たざる者」として長きにわたって蔑んできた。

 だというのに、ある日突然、こっちへ攻め込もうとしてきやがった。なんでも土地が急激に痩せてしまったから、他の土地を手に入れようとあちこちに戦争を仕掛けているんだそうだ。それこそ砂漠なんか奴らのお気に召さないと思うが、南への通り道にでもするんだろう。まったく傍迷惑な話さ。

 

「東の町は封鎖されたらしいな」

「西の果ては崖しかない」

「南方では流行り病が蔓延しているとか」

 

 世はまさに終末と言ったところ。北で蠢く軍勢は、さしずめ死の使いだ。恵まれぬ土地で静かに祈って暮らす俺たちは、抗うだけの力を持っていなかった。奴らが歩を進める度、雑草が刈り取られるように仲間や友の命は次々と散った。

 

 

「世界に終わりを決められるより、自分の意志で終わりたいと思わない?」

 

 いつも通り見張りに立っていた夜、隣に座るミナレが言った。俺の恋人だ。ミナレは補給班として、見張りについている俺の所へたびたび食事を運んでくれる。恋人同士が語らう時間なんて、そんな時ぐらいしかなかった。

 

「国を捨てて逃げるとか? 背中を射られて終わりだぜ」

 

 堅いパンを齧りながら答えれば、ミナレは「まさか」と笑った。

 

「飛び降りるんだよ、ここから」

 

 彼女は笑顔のまま、塔の頂上をぐるりと囲む胸壁を指差す。その向こうには満天の夜空が広がり、眼下の地上は遠い。落ちれば、抗う余地もなく当然のように、死ぬ。

 

「馬鹿なことを言うな」

「この戦いに勝ち目がないことなんて、トウトだって分かってるでしょ? このまま国に縋って頑張ったって、碌なことにならないよ」

「気が弱るのは仕方ない、だから聞かなかったことにしてやる。なぁ、今日は早く休めよ、ミナレ」

「休んで明日になって、どうするの? トウトも次は前線に出るんだよね。いったいこれまで何人が前線から帰ってこられたか、君だって――」

「言うな。言うなよ、ミナレ」

 

 それきりミナレは押し黙った。俺も彼女にかける言葉は見つからなかった。冷たい夜風が俺たちの肌を裂かんとばかりに、塔の上を吹き抜けていった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「――ということがあったらしい」

 

 と、タビビトは締めくくり、砂漠の地下から持ち出した古びた書物を閉じた。それは、話に出てきたトウトの私的な日記だそうだ。彼の記述は出陣直前に書かれたらしい絶望的な文章を最後に、あとは白紙のページが続くばかりだった。要するに彼は戦場から戻ってこなかったのだろう。そしてこの日記を持って地上へ逃げ出せる者も、居なかったのだろう。

 花畑を訪ねてきたタビビトは、僕を見つけるなり挨拶もなしに「聞いてくれよ!」と迫ってきた。この新発見したエピソードをどうしても誰かに話したかったらしい。正直なところ、出合い頭に聞きたいような面白い話ではない。僕は返答に困った。

 それに、あの塔は東の遺跡――研究所――の人間が、飛行船の観測に使っていた筈だが――

 

「飛行船?」

 

 僕の思考を読み取って、タビビトは首を傾げた。

 

「この花畑に墜ちたんだ。異変の影響が酷かった東から逃げてくるために飛んだって」

「そうか。ハナモリは東の遺跡に入れたんだったな。だとすると、元は砂漠の民のものだった町や塔を北の異教徒が奪い、更に彼らが去った後に研究所が利用した――」

 

 彼は変異の時代について調べる旅をしている。およそ二十年ほど続いたその時代、世界は混迷を極めていた。それまでの文化や規律、自然法則は歪み、当時を伝える正確な記録というのは、今や貴重になってしまっている。変異の時代が始まってからの出来事は、時系列を整理するのも一苦労だそうだ。

 

「いいな、あどれなりんが出てきた! あれ、あどばたいじんぐ、だっけ? まぁどっちでもいいか!」

「せっかくだし、飛行船見てく? 人が住んでるから騒がしくされると困るけど」

「ああ、是非とも見せてくれ! 楽しみだ!」

 

 タビビトは古い日記を丁重に鞄にしまい、期待に満ち満ちた目で僕を見た。僕はシロヘビになんと言って、この好奇心旺盛な人物を家に上げてもらうか、よく考えなければならなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 戦場は、戦いと言うのも生温い、蹂躙の舞台だった。

 砂漠の民はとうに疲弊しきっていた。武器はなまくらしかなく、兵士と呼べるような者は俺と十数人、それから上官が二、三人。徴兵された民間人も大人の男はもうほとんどおらず、子供が身の丈に余る槍を握るような状況だった。「まだ母さんと弟が生きているから」と自分を奮い立てていた少年は、俺の目の前で頭をかち割られた。「最後まで諦めるな」と叫んだ上官は、兵士の中で誰よりも先に全身に矢を浴びて動かなくなった。

 着々と骸が積み重なる戦場で、俺は大人しく自分の番が来るのを待っていた。そもそも戦う意志など、俺の中には出陣する前からとっくになかったのだ。

 出陣の朝に、ミナレが塔から飛び降りてしまったからだった。誰の、どんな惨状よりも、全身がひしゃげた彼女の姿が目に焼き付いていた。俺は彼女のもとへ行くためだけに、戦場をふらふらとさまよった。

 

 気づいた時には戦いは止み、俺は捕虜として捕まっていた。戦意のない敗残兵と見做されたのだろうか。しかし生き残ったことを幸運だとは、けして言えない。

 

 戦争が終わったその日、俺たち捕虜は一列に並べられ、塔を上った。いつも働いていた見張り塔、ミナレが食事を持って上ってきてくれた階段。彼女の面影を探すようにしながら、俺は馴染みの塔を上った。

 頂上の風は、彼女と最後に話した晩のように冷たい。思わず立ち止まると剣の鞘で背中をせっつかれる。

 異教徒に促されるまま、俺は胸壁の上に立った。横を見れば、同じく戦場で捕まった捕虜の他に、地下に隠れていた筈の修道女たちも何人か、胸壁の上で風にさらされている。

 地上では、生き残った砂漠の民たちが拘束されて俺たちを見上げていた。頂上に俺たちを連れてきた異教徒が、地上まで響くように何か吠えている。連中の言葉は知らなかったので、なんと言っているのかは分からなかった。ただ、今から突き落とされるのだろうな、ということは想像に難くなかった。

 こんな風に終わるのなら、どうしてミナレと一緒に飛んでやらなかったんだろう。ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 そのうちに、思っていたよりもずっと軽い力で背中を押された。俺は地上に真っ逆さまに落ちていく。

 

 ひしゃげたミナレが腕を広げて、俺が来るのを待っていた。