【4】

 

 船内の医師と医療アンドロイドたちがとうとう治療薬を完成させたことで、エルセアーデを苦しめた疫病は終息した。終息の宣言が出されるまでには、トァスティースたちが評議会を立て直してから二ヵ月が経っていた。閉鎖空間での混乱を避けるために、疫病発生の詳細な経緯は公表されなかった。

 人々の移動制限が解かれれば、今度はエルメ人とセーアランタ人での小競り合いが船内の至る所で発生した。対応を追われた評議会は警備アンドロイドや市井のアンドロイドに協力を依頼し、大きな諍いに発展しないよう気を配った。同時に、争いを好まない人間たちの交流を促し、なるべくいがみ合いの起らない空気を作るよう努めた。その中にはヴェルリも居て、トァスティースが喫煙室に行けば、新しくできたエルメ人の友だちの話をしてくれた。

 主を喪ったカローワトは、評議会の所属となっていた。ただし、監視対象として管理されるためだ。

 トァスティースはカローワトも議員に加えたかったのだが、タンザとフェリッサから異様なほどの猛反発を喰らった。二人は長官の遺体を物のように扱ったカローワトを信用することなどできないと言い張ったのだ。切迫した状況だったから仕方がないとトァスティースも反論したが、何よりカローワト本人が自らの扱いを受け入れてしまったので、それ以上は意見もできなかった。

 今もカローワトは一層の、元長官の部屋に住んでいる。ただし部屋の鍵は評議会の預かりとなっており、船内を出歩くことは禁止されている。禁錮はあくまで一時的な処置だが、いつまで監視対象にされるのかはまだ決まっていない。

 

 

 

 ある夜、トァスティースはカローワトの部屋を訪ねた。しばらくは室内に監視カメラも付けられていたのだが、さすがにやり過ぎだとトァスティースが散々抗議して、ようやく外された後だった。やっとゆっくり話ができると、彼はどこか浮足立っていた。

 カローワトは読んでいた本を机に置き、トァスティースを向かいの椅子に促した。長官の部屋は主の死後早々に遺品が整理され、念のために全体が除菌された。今は最低限の家具と、本棚に数冊が残されただけの状態で、伽藍としている。

 

「すまない、カローワト。不自由をさせてしまって……」

「気になさらないでください。スリープ・モードにしていれば暇もしませんから」

 

 珍しく、冗談を言ったようだった。トァスティースは笑うべきなのかどうか、いまいち判断がつかず、曖昧に口角を上げた。

 近況を訊ねられたので、評議会の最近の仕事ぶりや人々の生活の変化について順に語っていく。カローワトはほとんど黙って聞き入り、時々相槌を返した。終始リラックスした様子で、大きな問題がなさそうなことに安心してくれたようだ。

 

「やっぱり、あなたを信じて良かった。それだけは、生涯私の誇りになります」

「それだけだなんて――」

 

 トァスティースの今があるのは、カローワトがたびたび背中を押してくれたお蔭だ。長官の部屋へ会いに行った時、気晴らしに連れて行ってくれた時、タンザとフェリッサに立ち向かった時――それに、地上で初めて出会った時。

 

「なぁカローワト、覚えているかな。宇宙に出る前、評議会の本部で初めて会った時のこと……」

 

 カローワトは不思議そうに首を傾げながらも、頷いた。

 

「ええ、覚えていますよ。六階の通路で、展望窓から作りかけのコロニーが見えました。まだ二年前のことでしたね」

 

 トァスティースは頷き返した。そして自分の重要な記憶領域から、思い出を呼び覚ます。

 

 

 

 

 トァスティースが初起動したのは、およそ三年前のことだった。評議会の予算で製造された彼は、評議会本部の地下にある情報室で目を覚ました。そこで仕事のしかたを何人かの議員たちから教わるなり、彼はすぐさまコンピュータのコードを自身に繋いで電子の海に飛び込んだ。

 情報室で処理したデータは、地上の機器から適宜呼び出して利用される。わざわざ地下を訪れる者は少なく、トァスティースが会うのは機械の保守を担うエンジニアたちと、新入りアンドロイドの調子を確かめに来るタンザとフェリッサだけだった。しかし彼は、宇宙への旅立ちを控える評議会のデータすべてを精査し直すという、途轍もない多忙の中に居たので、ほとんどの時間は電子の海に潜っていた。部屋の来訪者たちとは業務連絡以外の会話はまったくしなかった。

 そのまま情報室で一年働き続けると、さすがにパフォーマンスの低下が目に見えるようになった。コンピュータから離れて、内部に溜まった不要なデータを整理しなければならない。その時ついにトァスティースは、「どっかで休んできなさい」と情報室を追い出された。

 本部のビルの間取り図は、電子の海で見つけて記憶してあった。しかし議員たちの仕事場へ入っても邪魔になるだけなので、通路、休憩所、非常階段ぐらいしか行く所がない。とりあえず休憩所へ向かったが、そこは人間のための場所だ。長居して席を占領するのも躊躇われた。要はデータ整理さえできればいいのだからと、時間を潰すべく彼は建物内を下から上へとさまよいだした。

 そして六階にある少し広い通路で、展望窓から外を眺めているアンドロイドを見つけた。

 そのアンドロイドは評議会の名簿に登録されていなかった。何者なのか気になって声をかけると、相手は入館パスを取り出し、「三年ほどバルダ長官にお仕えしている、カローワトです」と名乗った。私用のため退勤する長官を迎えに来たが、まだ仕事が片付いていなかったので、そこで待っていたそうだ。

 トァスティースには同僚でもないアンドロイドとの話し方が分からなかった。もちろん一般的なコミュニケーション方法くらいはインプットされていたが、評議会の機密情報を知る彼は、あまり他人と多くを話してはいけないと最初に言いつけられていたのだ。エンジニアやタンザたちと話さなかったのは、そのためでもあった。他の誰かが情報室に来た時には、あえて電子の海に居て会話をしなくてもいいようにしていたわけだ。

 踵を返し、トァスティースはその場を去ろうとした。しかし窓の外を眺めていたカローワトは気づかなかったのか、話しかけるように「綺麗ですね」と零した。

 そう言われると、トァスティースは何が綺麗なのか確かめずにはいられない。立ち止まり、同じように窓の外へ目を向けた。

 ――眼下には白や灰色の建物が連なる街があり、目線を上げると木々の冠を戴いたセーアランタ区が浮かんでいる。それから遠くには、建造中のコロニー外郭が見えた。銀色の外壁に覆われた錘は、まだ一部が骨組みを晒している。ドームは錘の屋根になる日を待って空を反射している――

 それだけを見ても、何がどう綺麗なのか彼には理解ができなかった。だから、つい「綺麗って?」と訊き返していた。カローワトは答えた。

 

「ここから見える景色のすべてが」

「そうなのか? 美術的にはあまり評価できる景色ではないはずだけど。街並みは彩やコントラストが不十分だし、浮島の位置や作業中の外郭フレームはバランスを乱しているよ」

「ふふ、機械みたいなことを言うんですね。珍しい……」

 

 くすくすと楽しそうに笑うカローワトは、まるで人間のようだった。しかしトァスティースとて知っている。今どきのアンドロイドは基本的に他者に対して友好的で、かつ感情の再現レベルが非常に高く、表情や仕草では人間と見分けがつかない。もはや「機械らしさ」と「アンドロイドらしさ」は、等号で結べないのだ。

 そしてトァスティースの無機質な返答に、気を悪くもしないで顔をほころばせるカローワトは、実にアンドロイドらしいアンドロイドだった。

 

「あなたの名前は?」

「トァスティース」

「トァスティース。私が綺麗と言ったのは、絵としての景色ではありません。あの地上で生きる人々、あの浮島で生きる人々、それらがもう一度あのコロニーで交わる未来が、美しいと思ったんです。ハザの戦争は人が生まれつき分かたれていたせいで起こったけれど、生きていればどこかで融和できる時が来るのだと、思わせてくれるようで……」

「よく分からない……」トァスティースは率直にぼやいた。「ここから見えるのは、みんなエルメシダ国民だよ。しかもコロニーに移るのは一部の人だけだし、彼らは他の国との永久的な決別を選んだ。人は分かれることを望んでいると思うけど」

「そうですね、本当はあなたの言う通りかもしれない……」

 

 寂し気に零すと、カローワトはコロニー外郭を見つめたまま黙ってしまった。瞳には影が落ち、青色は暗く沈んでいる。

 トァスティースの知る限り、コロニーの建造は順調だ。予定通り、あと一年と数ヵ月でコロニー・エルセアーデは宇宙に飛び立つだろう。トァスティースは本部の情報室から仮設船の管制室に移り、また部屋に籠って働き続けることになる。処理するデータの種類は変わるが、起動してからの日々と大した違いはない。

 アンドロイドは退屈を感じても働けるが、どうせなら感じない時間が多いほうが、望ましくはある。

 

「コロニーでエルメ人とセーアランタ人の区別がなくなったら、君は嬉しい?」

 

 何気なく訊ねると、カローワトは目をぱちくりとさせた。それから「ええ、きっと」と返事をした。

 

「じゃあ、個人的な努力目標に設定しておく。計画によれば俺の権限は大きくないから、実現は難しいと思うけど」

「ええと……自分自身の目標でなくていいのですか?」

「他に何も考えつかないから。空欄にしておくよりは退屈しないだろうし」

「もっと親しい方の望みのほうが……」

「君以外とこんな話をしたことがない。でも、これからもっと良さそうな目標が見つかったら、そっちに変えるかもしれない」

「では、期待しない程度に楽しみにしておきます」

「ああ、それがいいと思う」

 

 淡々と答えると、カローワトはトァスティースから顔を逸らした。そして口元を押さえ、堪えるように肩を震わせ笑っていた。感情の機微に疎いトァスティースにはどういう笑いなのか判断がつかなかったが、その仕草は、今度こそ本当に人間みたいだと思った。

 

 

 

 

「努力目標はまだこれからだけど、俺がここまでやってこられたのは、君が居てくれたお蔭なんだ」

 

 二年前のトァスティースは情緒がまるで育っておらず、カローワトのことを顔見知りになったアンドロイド程度にしか思っていなかった。だから避けられていた時期も不可解なだけで傷つきはしなかったが、不信感を抱いた時には苦しくなった。単調に働く機械だったトァスティースにとって、カローワトが与えてくれた私的な目標というのは、信じていたい心の支えだったのだ。

 今やカローワトは、自分を導いてくれた先達であり、信頼できる仲間であり、いずれ友になりたい人である。だからトァスティースは今日のように語らえる日を心待ちにしていた。カローワトが謙遜するならば、自分が称えてあげたかった。

 

「君はすごい人だよ。君ならこれからだって、沢山の素晴らしいことを為すさ」

「いいえ、私はあまりにも酷い間違いをしましたから……」

 

 しかしカローワトは拒むように目を伏せ、机の上で両手の指を組んだ。それは、人が天に祈る格好に似ていた――あるいは懺悔する時の。

 

「トァスティース、あなたに告白しなければならないことがあります。実はウイルスを保有したマウスは、二匹おりました」

「……え?」

 

 マウスの件はすっかり片付いたのではなかったか。トァスティースは眉根を寄せた。

 

「おかしいとは思いませんでしたか。上層と下層を早急に分断したのに、どうして最上層の幹部たちがこぞって感染してしまったのか。あなたの隔離策では、感染の拡大を無事に食い止められたのに」

 

 確かに、長官はどこで感染したのか不明なままだった。他の幹部たちもだ。しかし下層で疫病を確認してから、上層でもちらほらと感染者は出ていた。分断直前までは行き来があったのだから仕方がない。そして幹部は年嵩の者が多かったので、ひときわ抵抗力がなくて感染してしまったのだろうと、トァスティースやタンザたちの中では結論付けられていた。

 

「でも、二匹も生体反応スキャンを逃れ続けられるわけがない」

「どちらのマウスもスキャン妨害と追跡機能を持つチップが埋め込まれていたのですよ。一匹は評議会の決定で持ち込まれたもので、目を付けられた素直な子供が最下層に放ち、その後フェリッサが回収した。そしてもう一匹は、バルダが独自に持ち込み――」

 

 その先は聞きたくなかった。しかし情報の分析を本分とするトァスティースは、情報収集の妨げになる行動は取れなかった。耳を塞げないまま、続く言葉を聞いた。

 

「私が一層に放ちました。ケースを出たマウスは短命ですから、下と繋がる階段やダクトにネズミ除けの薬を撒けば、一層の幹部たちを狙い撃ちにできたのです。ほら、前に一層と二層のあいだの踊り場で会ったでしょう。本当はあの時、清掃ロボットが薬をきちんと掃除してくれたか気になって見に行ったのですよ。タンザがネズミ捕りを仕掛けて回っているようでしたので、もしやこちらの策を勘づかれたのかと思って」

 

 流暢な告白を、トァスティースは一言一句漏らさずに記憶した。すぐにでも否定したかったのに、彼の思考回路は目まぐるしく働いて情報を精査し、カローワトの話が真実だろうと判断した。そうすれば、微かな違和感に説明がつきそうだったからだ。

 

「タンザたちが、あそこまで頑なに君の議員入りを拒んだのは……」

「この部屋の除菌作業の時に、ケースと死骸を隠していたのが見つかりまして。あなたは私を信じていたから、彼らは私の罪を黙っていてくれたのですね」

「自分でもマウスを持っていたなら、どうしてフェリッサのマウスを探していたんだ。評議会の罪を公にするには一匹でも足りたはず」

「ケースの色もマウスの毛並みも違いました。万一でもフェリッサたちにそこを追求され、私とバルダだけが排除されたのでは、意味がなかったのです」

 

 それからカローワトが明かしたのは、長官とその従者たるアンドロイドのあいだで共有された企みについてだった。

 ハザを発つ前から、評議会幹部たちは将来的に食糧不足に陥ることを把握していた。問題解決のため、彼らの中ではセーアランタ人の排除案が有力になっていった。長官はこの案に反対していたが、コロニー発進までに対案が間に合わず、黙認せざるを得なかった。

 同時に長官は、この幹部たちとコロニーを率い続けることは無理だと悟った。セーアランタ人を排除した彼らは、いずれエルメ人も分類しだすだろう。上に立つおのれたちと下々とを分け、民草を虐げることを躊躇わないだろう。

 長官は議会を健全化させなければならなかった。だが、彼は老化が進み過ぎていた。老いは焦りを生み、焦りは強硬手段を選ばせた。

 

「バルダは下層の疫病に乗じて、幹部たちを丸ごと挿げ替えようとしました。当然、自分が共に死ぬことも覚悟していた。だから次代を担う責任者の選定は、私に任せてありました」

 

 長官が死んだら、遺体と声帯模写機能を使って相応しい者に管理者権限を譲渡するよう、指示されていたそうだ。

 カローワトは、ハザから飛び立つ直前にセーアランタ人排除について聞かされたという。長官を主と仰いでいたカローワトは、主と同じように他の幹部たちを軽蔑した。だから宇宙に出てからは評議会関係者を一様に避けていた。もともと評議会との関わりは薄かったので、それで怪しまれることもなかった。

 しかしトァスティースが行った施策を見ると、彼だけは見直した。トァスティースはかつて展望窓の前で会った時と変わらず、人間たちの命を区別なく守ろうとしていたのだ。カローワトは彼こそ次の最高責任者に相応しいと判断した。

 その一方で、自分がトァスティースと相反する行いをしてしまったことに気づいた。既にカローワトは、何も考えずに主人の命令に従い、不要な人間を選んで死なせた後だった。

 

「幹部たちもセーアランタ人を見捨てていた。かと言って、皆殺しにしても良かったとは、今は思えません。だってトァスティース、あなたならきっと、彼らにも償いの機会を与えたでしょう?」

「それは、法に則った相応の罰に留めると思うけど……」

「ええ、それが当たり前です。やっぱりあなたの思うことは正しい。けれど私とバルダは、当たり前が分からなくなっていたんです……」

 

 だからカローワトは、自らに課せられた罰をすべて大人しく受け入れた。罪人を罰したつもりのおのれもまた、罪人だったのだから。

 

「トァスティース。私の処遇はまだ決まりきっていませんでしたね。でしたら、私を初期化するか解体処分するかしなさい。タンザの言った通り、私は危険思想の持ち主です。けれど人ではなく機械なのだから、修正でも廃棄でも早々にすればいいのです」

 

 そうして告白を終えると、カローワトは眉尻を下げながら微笑んでみせた。

 トァスティースが「うんざり」を感じるのは、この時が二度目だった。罪を犯したなら生きて償うべきだと言っておいて、どうして初期化だの解体だのという話になるのだろう。どうしてカローワトは、悲し気に笑ってばかりなのだろう。本当はもっと愉快そうに笑えるはずなのに。疫病を取り巻く思惑のすべてが明らかになっても、トァスティースはちっとも腑に落ちなかった。

 

「君はまだ、何も分かっていないよ。過ちを犯したなら、自分で善き道に正すんだ。それがこれからの君の罰であるべきだ」

「人に対する罰と機械に対する罰は違いますよ」

「君は道具より先に進んだ仕事をするんだろう。都合のいい時だけ道具ぶるのはやめろ」

「私とフェリッサの話、聞いていたのですか? 上の空でしたのに」

「その少し後までは聞いていたさ。ログもまだ残っている。転送しようか? 動画でも音声でもテキストでも好きな形式で渡せるけど」

「い、いえ、結構です」

 

 カローワトはおっかなそうに肩を丸めた。だが、目ではしっかりトァスティースを窺っている。

 かつて、トァスティースはカローワトより無知だった。感情が乏しかった。意志が弱かった。けれども透き通った青い瞳がくれた光が、今は彼の眼差しに力強く生きていた。

 

「俺は、同じ道を来てくれると言った君を信じて待つよ。償いにどれだけ時間がかかっても、違う道に見えたとしても、ずっと待っている。君を信じている」

 

 見つめ返せば、カローワトの顔がくしゃりと歪む。機械だから涙は流れなかった。しかし、出す声は震えていた。

 

「どうか、待っていて」

 

 トァスティースが手を差し出せば、カローワトは固く握り返した。そして今にも泣きそうな顔で、精一杯ほころんでみせた。トァスティースが見たい笑顔とはまだ違っていたが、それでも今度は、美しく思えた。